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いよいよ小学生たちと一緒に
給食を食べることに・・。

食べても大丈夫・・?
一瞬、不安が過り、
「あ・・お腹すいていないから、少しで・・」
と口走っていました。

給食を作っているところは、
とても衛生的に見えなかったし・・

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二人の村人が、給食を作ってます。
トウモロコシの粉を練ったものです。

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湯気でいっぱいの給食室。
クラスごとの給食が分けられています。

でも、ここで食べないわけにはいかない。

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トウモロコシの粉を練ったもの(右)に、
マメのスープ(左)をかけて食べる。
メニューは一つ。

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少しだけ・・と言ったら、こうなりました。

いざ試食。
ちょっと、どきどきしつつ、一口・・・。

え? 

おいしい・・・。

なんと・・おいしかったのでした。

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生徒たちは、かなりの大盛りを食べてます。

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彼は、スプーンをもっていないので、
手で食べてます。

おいしくて、一緒に行った仲間の一人は、
おかわりして、食べていました。

こうした給食を学校で提供できるようになって、
子供たちの授業での集中力も増したそうで、
また、学校にくれば、ご飯がたっぷり食べれるから
学校に来るという子もいるそうです。

それにしても、日本の給食の風景とはちょっと違って、
みんなさっさと食べたら、外に出て行ってしまう。
あんまり、隣同士でおしゃべりもしないし、
ただ黙々と食べていて、変な感じだった・・・。

私のそばの生徒たちは、「写真撮って」とか
ちょっかいを出して来たけど・・
普段は、静かな給食時間みたい。

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食べ終わったら、お皿をたらいの中に。

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お皿は、村の人が洗ってくれます。

給食は、おいしかったし、ヘルシー。
子供たちも、ガリガリにやせているわけでもないし、
やっぱり、我々日本人は、食べ過ぎだと・・痛感する給食体験でした。

今回のルワンダへの出張の目的は、
テーブル・フォー・トゥという
私が理事を務めるNPOが
給食を提供している小学校を視察することでした。

その小学校は、ルワンダの首都キガリから
車で30分ほどのところにありました。

そこは、ミレニアムビレッジと呼ばれ、
ジェフリー・サックス博士がリードして設立された
「ミレニアムプロジェクト」による、
復興支援を受ける村の一つです。

小学校の敷地は、驚くほど広く、
その中に、ブロックで作られた平屋の教室や
外の木陰に机を並べた、青空教室、
屋根だけの教室などが、点在しています。

私たちの車が到着すると、
子供たちが駆け寄ってきました。

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カメラを向けると、珍しそうに、
カメラを覗き込んだり・・・
なぜ、みんな集まってくるんだろう・・
素朴に不思議になりました。

そもそも、
好奇心おう盛な子供たちは、
見たことのないアジア系の人間に
興味を持って集まって来ているのかもしれないし、

その手に持たれているデジカメやビデオも
見たくて仕方がないのかもしれない。

確かに、写真を撮ったり、動画を撮って、
見せてあげると、大喜びしてくれる。

でも、そうやって触れあっていくうちに、
子供たちの何人もが、
「Give me pen」と言うようになった。

中には、私の持っているペットボトルを見て、
「その水をちょうだい」と言う子もでてきた。

そして、「お金をちょうだい」と言う子も・・
最後には、「No Money No Life」と言う男の子も。

ミレニアムプロジェクトの人からは、
何も子供たちに与えないようにと言われていたので、
どの子供たちからの要望にも応えることはできず、
ひたすら、これは私のものだから・・・と言って
その場をかわし続けた。

こうした子供たちを見て、
「かわいい」とか、「助けてあげなきゃ」とか、
いろんなことを言う人がいるけれど、
私はとても複雑な心境になった。

私も子供たちと一緒に、遊んだり、
踊ったり・・したけれど、
子供たちのその無邪気な面の裏側に、
何か別のものがあるような気がしてならなかった。

子供も一人の人間。
ただ年齢が違うだけで、
それぞれに自分の人生を生きている。

無邪気に遊んだ後に、
真剣な表情で、
「ペンをちょうだい」と懇願してくる子供たち。

学校の中で、
紙とペンを持っている子は、ごくわずか。
こうした少し恵まれた子どもたちは、
大勢の子たちとはちょっと距離を置いて、
集まっていたりする。

ほとんどの子は、
与えられた教科書を読むことはできても、
書くことはできない。

さっきまでの無邪気な表情とは全く違う
悲しげで、そして、真剣なまなざしで、
ペンを求める子供たちを見て、
私たちは、視察に来て、一体何を見るべきなのかを
改めて考えさせられた。

「子供たちが私たちのNPOの寄付を通じて、
給食を食べることができて幸せになった」
そんな薄っぺらな満足感だけを得て帰っていいのか・・。

一つのことだけをして、
貢献した気分になって、満足する・・
支援というものを、自己満足にしてはいけない。

底なし沼のように存在する様々な問題。
もし、支援というものに取り組みたいと思うなら、
その事実を胸に刻み、自分の微力を痛感し、
それでも、底なし沼の解決に取り組む決意を持たなければ、
きっとその支援は、単なるファッションなんだと思う。

テーブル・フォー・トゥを通じて、
支援という世界に足を踏み入れた私は、
底なし沼を自分の目で見てしまった・・。

この底なし沼の解決のために、
日々の仕事を通じて何ができるか。
それを考える日々が始まった。

20世紀は、
技術の進歩が、人類の意識の進歩の先を
行ってしまった世紀だったと、
以前、NHK教育テレビでキャスターをしていた番組
「21世紀ビジネス塾」で、様々な企業を見ていて思った。

技術の進歩によって、
「効率化」に光が当たりすぎて、
人間が置き去りにされ、
自然環境も忘れ去られた。

そして、21世紀を迎え、
しっぺ返しを受けている。

それが環境問題だったり、
食料問題だったり・・。

今、アメリカ発で起きている金融危機もその一つ。

ルワンダで感じたことも、これに共通する。

先進国によって植民地化されたルワンダ。

その先進国によって、
それまで仲睦まじく暮らしてきた民族に
階級差を付け、その仲を引き裂くような制度が作られました。

優遇される民族には、
その先進国から積極的な武器の輸出も行われ、
被差別民族は、階級制度だけではなく、
武力によっても、抑圧されることになりました。

そして、多くの被差別民族が海外に逃げましたが、
逃げられない貧しい人々が、
結局大虐殺の犠牲者になったのでした。

今、ルワンダの人たちは、
昔のような異なる民族が互いに助け合い、
融和して生活する社会に戻りたいと言います。

その話を聞くたびに、
その昔の平和な社会を壊したのは、
植民地支配を自分の都合良い形にした
先進国のことを思います。

先に進む国と書く「先進国」。
結局、自分たちがさらに先に進むために、
ルワンダなどの新興国を
利用したに過ぎないのではないか。

そして今、何事もなかったかのごとく、
先進国として、ODAだとか、寄付だとか、
世界の平和のために貢献しているかのように振る舞う。

ルワンダにいる間中、その疑問が高まる一方でした。
何ともいえない悔しさと、悲しさと、怒りがあふれてきました。

私も先進国に生まれ、
生活している一人の人間として、
先進国の役割とは何かを深く問い直したくなりました。

より豊かに、より便利に、より幸せに・・・
先進国が求めて来たことは正しかったのか。
そして、その求め方は正しかったのか。

先進国のエゴが、今、
世界を不安に陥れているのかもしれない。
自分たちの幸せばかりを追求して、
その影で犠牲になっている人たちのことを見ず、
後で、あたかも正義の味方のように施しを与える。
偽善じゃないのか・・そんな思いがあふれました。

でも、ルワンダの人たちは、そんなことを言わず、
一生懸命、自分たちの明るい未来のために生きている。
ルワンダには、少なくとも表面的には憎しみがありません。
みんな、辛い過去を抱えつつ、明るい未来を目指して生きています。

先進国のエゴを、憎み続けるのではなく、
世界とも融和して、平和な未来を創りたいと言う人たち。

先進国よりもずっと心が広くて、
ずっと人間として進んでいる。

20世紀に先進国は、技術力の成長は獲得したけど、
20世紀に、高度な人間としての成長をしたのは、
新興国と呼ばれる国の人々かもしれない。

21世紀が、良き世紀になるとするならば、
それは、新興国の人間力によるものかもしれない。

そして、私たち先進国に生きる人たちは、
改めて20世紀を振り返り、反省し、
平和な21世紀のために、何をするべきかを考えないと
いけないのだと思う。

ルワンダの衝撃は、私にとって、本当に大きい・・・。

ルワンダと聞いて、
多くの人が口にされるのが
「ホテル・ルワンダ」。

1994年のルワンダの大虐殺を
テーマにした映画です。

たった14年前の出来事。
1994年。

そのとき、ルワンダでは、
たった100日間に、
約100万人の人が殺されました。

それは突然のようで、突然ではなく・・
1950年代から続いていた民族間の対立が
爆発したという感じなのでしょうか。

ルワンダで、その虐殺の歴史を
伝える博物館に足を運びました。

奇麗な中庭の脇には、
白くて大きなコンクリートの土台のようなものが
延々と続きます。
それぞれの台の下には、
何十という遺体が埋蔵されているとのこと。

まだ、埋蔵されている人は幸せなのかもしれない。
それは、博物館の中に入ってから思った。

博物館は、写真と解説が中心の展示。

当時の大統領の暗殺事件をきっかけに、
ツチ族の全滅を呼びかけたフツ族。

それまで職場でも学校でも、
そして隣人としても一緒に暮らしていた
フツ族とツチ族がその日を境に命を奪いあう関係になった。

ツチ族を殺さなければ、自分が殺される。

そんな圧力の中、ツチ族の人たちは、
今まで共に暮らして来たはずのツチ族の知人を殺した。
それは、とても残酷で、
連日ラジオでは、殺人の仕方が放送され、
すぐに殺さず、苦しめるように指示されたという。

博物館で働く人は、ボランティアの人たちは、
その虐殺の際の孤児たちが中心。

虐殺によって、多くの子供たちが孤児になった。
でも、孤児になっただけでも幸せで、
多くの子供たちは殺されたのだそうだ。

展示物を見ていると、ボランティアの人たちが
代わる代わるやって来ては、説明してくれる。

そのうちの一人の人と親しくなった。
彼は、当時13歳だったという。
そして、彼のお父さんは、今、刑務所にいるそうだ。

今は、コンピュータ関係の会社で
働いているという彼と帰りの車の中でずっと話しをした。

たった14年前の出来事。
はっきりとあのときのことを覚えているという彼。
互いに憎しみ合っても不思議でない人たちが
今、一緒にルワンダの再建に取り組む。

なぜ、そんなことができるのか。
憎しみは?恨みは?

「そんな気持ちよりも、
 僕たちは、二度とあんな世の中は嫌なんだ。
 昔の互いに仲良かった時代に戻りたいんだ」

彼は力強く答えてくれた。

辛い歴史。
虐殺がなかったら、
今頃ルワンダはどうなってたんだろう。

「辛い過去だけど、虐殺があったから今がある。
今、平和に、そして、みんなで力を合わせて発展できるのは
虐殺があったからかもしれない。
だから、二度とあんなことが起きないようにと、誰もが願って
毎日生きることができてるんだ」

私は、言葉を発せなかった。

なぜ、こんなことが起きてしまったんだろう。
私の疑問は高まるばかり。

その背景には、ルワンダの植民地としての歴史がある。

先進国の一員として、新興国に支援を・・
そんな気持ちで今回訪問したルワンダで・・・
先進国のエゴを見た気がする。

明日は、虐殺を引き起こした先進国の影と
ルワンダの復興について、書いてみようと思う。

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これは、昨日のブログで紹介した
ルワンダのバイクタクシー。

運転手は、いつもヘルメットひとつ
ハンドルにぶら下げて走っていて、
お客さんを乗せるときは、そのヘルメットを
お客さんにかぶらせます。

ルワンダでは、ほとんどの男女が短髪なので、
ヘルメットは苦にならないのですね・・・。
子供達も、男女ともに、丸刈りだったりして・・・。
髪質も違うので不思議はないのですが・・。

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ルワンダの女の子。
テレサちゃん。

ホテルに到着して、
私たちテーブルフォートゥのパートナーである
ミレニアム・プロジェクトの方々とランチ。
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ベルギーの植民地であったせいか・・・メニューには
カエルの足のにんにくバターソテーが・・・。
一緒に行った仲間たちは、おいしいと食べてたけど、
怖くて・・食べれなかった。
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当然、ルワンダ人も、普段は決して口にしないらしく・・・
みんなに勧められて、
カエルを食べたなんて、お母さんに絶対言えない・・
と悲しそうに、一口食べていました。

普段の主食は、バナナ。
甘くないバナナを蒸して食べるそうです。
おかずは、豚肉や鶏肉。そして湖でとれる魚です。
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結構、おいしかった。

ランチをしながら、ルワンダの話をひとしきり。
二人とも、虐殺事件の前に、
国外に退避していたご両親のもとで生まれ育ったそうで、
事件の後、復興するルワンダに、両親とともにやってきたとのこと。

ルワンダは、日本に似ていて、封建的な文化で、
「男子厨房に立たず」だそうで、基本的に家のことは女の仕事。

かつては一夫多妻の時代もあったけど、
今はほとんど一夫一妻。

子供の数が多いのが、国家的な悩みで、
兄弟が10人とか20人なんて人もいるらしい。

そこで、今は、
子供の数を3人までに抑えるようにという
ルールがあるそうだ。

ルワンダは急速に復興しているけれど、
内陸の小さな国で、海がない。
輸出入は、隣国ケニアに頼ることが多いし、
資源も出るのだけど、国の産業の中心は農業。

ただ、水不足が深刻で、
これを解決する技術を提供してくれるところを
探しているそうだ。。

そんなルワンダにとって、
資源もない小さな島国日本の発展は、
とても興味があるらしい。

日本のように、
製造業などの知的な事業で発展したいそう。

こうして話を聞いていると、
日本の企業には、
いろいろと協力できることがあるように思う。

お金の寄付より、技術の伝授をするべきだな・・と
しみじみ思う。

そんなルワンダで、今ホットな協力国は、
中国。

ルワンダの田舎町までに完璧に施設された
広大な道路のほとんどは、中国が敷いてくれたとのこと。

「中国のおかげ!」という言葉を聞くたびに、
ルワンダに一番最初にODAをしたのは日本じゃなかったっけ・・と
さみしく思うのでした・・。

明日は、ジェノサイト(虐殺)博物館でのお話を報告します。

9月は、ほとんど一ヶ月間、海外滞在でした。

前半は、アフリカのルワンダ・ケニアと中東のドバイ。
そして、後半は、中国の天津。

時差ボケになる暇もないほど、
ハードな出張でしたが、
気づきと学びの多い、
素晴らしい1ヶ月となりました。

ブログに書きたいことが山ほどあって、
何処から書こうか・・悩ましい限り。

10月は、9月の出張での気づきと学びを
少しずつ、まとめていこうと思います。

最初は、一番の感動・・ルワンダです。

ルワンダ到着までは、遠かった。。

羽田ー関空ードバイーケニアールワンダと、
4回の飛行機の乗り換えで、約2日間かけて
ようやくルワンダに到着。

94年に大量虐殺があったルワンダ。

出発前には、いろんな人から
「危ないよ」「大丈夫?」と言われ、
ちょっとドキドキしていた私でしたが、
到着して、びっくり!
すごく発展している!

空港からホテルまでの道は、
舗装された奇麗な道路が続き、
電柱は地中化されているようで、景観もキレイ。

道の両側には、
今まさに、新しい住宅(と言っても素朴ですが・・)が建設中。

走っている車のほとんどは、日本車で、
なんだか親近感。

そして、緑のヘルメットをかぶった
ライダーが運転するバイクタクシーが
たくさん走っている。

タクシーは、バイクの二人乗り!
乗車賃は10円くらい。

もちろん、車のタクシーもあります・・。

しかし・・外国人らしき人は、ほとんどいない。
みーんな現地の人。
まだ観光地としては認知が低いのかもしれない。

でも、みんな身なりも奇麗だし、
アフリカの新興国のイメージとはちょっと違う。

トランジットで一泊したケニアの方が、
道行く人が貧しそうで、寂しそうだった。

ルワンダの人たちは、なんだか明るい表情。

この国には、なんだか希望がありそう・・
そんな第一印象。

明日から、少しずつ、
ルワンダについて書いていきます。

もう一度行きたい・・・ルワンダ。