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今年の春から、10年ぶりに
フラメンコのレッスンを復活しました。

起業して、一番忙しかった4年間に、
ハマったのが、フラメンコ。

週末もスタジオを借りて練習し、
平日も、夜10時から練習していた
あの頃のことを思いだすと、
タフだったなあと思うのと同時に、
焦っていたな・・・とも思います。

10年前にレッスンを辞めた理由は、
上達に限界を感じたから。

あれから10年。

当然、年もとったし、
数年前に病気をしたこともあり、
体力も落ちた。

今度は、のんびりやろう。
趣味だと割り切って習おう。

そんな気持ちで、近所の教室の門を叩きました。

そして、初心に戻って、
真っ白な気持ちで習おうと、
入門クラスへ。

「先生、一から教えてください」

そう言って、入門した教室は、
基礎・基礎・基礎・・・を徹底する。

一つ一つの動作についても、
人体の骨格模型や、筋肉図を使って、
理論的に説明される。

10年前の私だったら、
きっと辞めていただろうなと思う。

あの頃は、早く踊りたかったし、
たくさんの曲を踊れるようになりたかったし、
舞台にも早く立ちたかった。
基礎の体力作りより、
新しい曲、新しい振り、新しい舞台・・だった。

けれども、今、基礎に徹してわかったこと。

これが、早道だったということ。

応用ばかりを追っかけていた10年前に
できなかったことが、できるし、わかる。

40歳過ぎてからじゃ遅いよ・・と
思ったりもしたけれど、
違うのだな。これが。

10年前より、うまく踊れるようになった気がする。

もちろん、体力も無いし、
レッスンする時間も少ないけれど、
基礎を積み重ねることで、着実な成長ができる。
そんな当たり前のことを痛感する日々。

それに何よりも、仕事や生活での苦労することも、
フラメンコにはプラスかな・・なんて思ったりする。

私の尊敬する、今は亡きフラメンコダンサー
”ファルーコ”の最初で最後の来日は、
彼が亡くなる数年前のことで、

若い孫たちがエネルギッシュなフラメンコを魅せた後、
ゆっくりと舞台に上がってきたファルーコは、
既にオーラに包まれていて、存在そのものがフラメンコ。
そして、一歩ずつ静かに舞台を横切り、
おもむろに腕を上げ、小さな構えのポーズをしたのです。

その瞬間、会場の人たちは、
思わず、「オレー」と
低いうなり声のようなハレオ(かけ声)をかけたのでした・・。

中島敦の小説「名人」で、
弓の名手が山にこもって弓の修行をし、
下山したとき、弓を忘れていたいう話がありますが、

まさに、激しく踊らなくても、
足を打たなくても、
存在がフラメンコ・・。

ファルーコの姿は、
年をとることの偉大さを感じた瞬間でした。

晩年の彼の姿だけを見れば、
基礎なんて必要なの?、
辛い練習なんて必要なの?
と疑いたくなるけれど、
そうした積み重ねがあったからこそ、
あのオーラが生まれてくるのだろうと思う。

年をとった時、そして、
からだが動かなくなった時、
言葉が流暢でなくなったとき、
自分はどんなオーラをまとって生きているのか。。

それは、今の積み重ねの結果。

焦らず、急がず、
でも、時間は無駄にしない・・
与えられた人生を大切にする。
そんな生き方をしていこうと思います。。。